青色毎日

大学生が日々のあれこれをぼやくブログ。みんな不幸になれば僕が一番幸せなのになあ。

偏見は経験、人は見た目で決めつけろ

 

 

 

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視覚は大事な情報源

 

「人を見た目で決めるな」というセリフ、よく聞きますよね。

 

僕はそのセリフを聞くたびに

 

「よくそんな綺麗事が吐けるものだなぁ」

 

と感心してしまします。

 

 

人が得る情報の8割は視覚からといわれるくらい、僕たちは視覚情報に頼った生活をしています。

 

見た目は貴重な情報源であり、ないがしろにはできません。

 

 

例えば、近所で散歩中、前から男の人が歩いて来たとします。

 

その男の人は背丈180㎝程

 

ガタイがよく顔に鋭い傷跡が刻まれています。

 

黒いスーツ黒いシャツ

 

がに股でのしのしと段々こちらに向かってきます。

 

 

この人は単に体格に恵まれていて昔なんらかの事故に巻き込まれた、がに股で黒好きの男性かもしれません。

 

話してみれば気さくな人で

 

家ではトイプードルでも飼ってるかもしれません。

 

ご近所さんかもしれないし、挨拶の一つでもして世間話に花を咲かせてみようか。

 

 

そんな思考回路に至る人間、そう多くはないでしょう。

 

並々ならぬ圧迫感を覚え、少し距離を取りながらその場を後にするのが賢明です。

 

 

「そんな極端な話をしているのではない」

 

と怒る方もいるかもしれません。

 

 

けれど僕は、同じ話だと考えます。

 

 

偏見は経験、学習して人は生きている

 

ではもっと現実的な話

 

 

大学で、自分の席の隣に金髪の女性が座ってきたとします。

 

耳にはピアスがいくつも開いており露出の高い服を着ています。

 

「後から仲間がやってきて、講義中も私語をやめないかもしれない」

 

と考え、席を変えるのは偏見に満ちた悪行なのでしょうか。

 

 

いまどきファッションで髪を明るくする人なんてごまんといますし、

 

ピアスを好むのだってどんな服装をするのかだってその人の自由です。

 

 

その女性からしたら

 

「勝手に決めつけられて腹立たしい」ことでしょう。

 

 

けれど、席を変えるのに罪の意識を感じる必要はありません

 

 

偏見は、言い換えてみれば経験です。

 

自分がいままで見聞きし、体験してきた全てから、

 

「この人はこういう行動を取りそう」だと判断することが「偏見」です。

 

 

偏見によって、僕たちは日々の安全を手にしています。

 

 

冒頭に言いましたが、人は情報の多くを視覚に頼っていますから、視覚から自分の経験に照らし合わせ相手の行動を推測します。

 

これを「人を見た目で決めつける」と呼ぶのでしょう。

 

逆に、「人を見た目で決めつけない」というのは、視覚から得た情報を全て溝に捨て、常に新鮮な、真っ白な状態で相手を判断することを指します。

 

 

僕から言わせてみればそんなの愚の骨頂です。

 

 

人間である意味がないとすら言えます。

 

 

学習能力の高さが僕たち人間の長所ですから。

 

従って、人を見た目で決めつけるというのは至極真っ当で、正当であると言えます。

 

 

偏見の注意点

 

ただし、注意すべき点があります。

 

 

一つは、自分が相手を偏見の目で見ているというのを悟られないこと。

 

いくら正しい行いでも、偏見の目に曝されるというのは気持ちのいいものではありません。

 

相手を傷つけないためにも、無駄なトラブルを避けるためにも、なるべく気取られないように自分を守るようにしましょう

 

 

二つ目に、偏見的に見ていれば必ずしも安全が保障されるとは限らないことです。

 

「決めつけ」は多くの場合起こり得る脅威から身を守ってくれますが、ときに刃としてこちらに猛威を振るってきます。

 

 

例えば関係が長期化するケース

 

このようなケースでは、相手の本質を見極め、それに合わせた丁寧な付き合いが要求されます。

 

歳をとるにつれ、新しい長期的な関係とは縁遠くなってきますが、上司や取引先、隣人関係には注意を払った方がよいかもしれません。

 

 

ではその際、一切の先入観を持たない方がいいのかというと、

 

答えはノーです。

 

やはり多少の決めつけは必要となってくるでしょう。

 

相手の挙動や身なりには意識を向けておいた方が良いです。

 

そうすることで、最悪の事態は避けられるかもしれませんし、また決めつけからズレた性質がより印象的にその人を形作り長所を際立たせてくれるかもしれません。

 

 

被害者の主張としての「見た目で決めつけるな」は頼りになりませんが、教訓としてのそれは大変役に立つものです。

 

 

同じ轍を踏まないためにも、偏見による失敗談には耳を澄ませておきましょう

 

 

まとめ

 

さて、ここまで偏見について語ってきましたが、いかがでしょうか?

 

「偏見」に対する偏見は薄まったでしょうか?

 

偏見は積極的に行うべきで、なら「偏見」を偏見的に捉えるのは正当であって……。

 

最後に述べた通り、偏見は絶対的に最善ではありません。

 

けれどもし、「偏見」とこれから先も長く付き合っていく可能性があるのなら、これを機会に考え方を改めてみるのもいいのではないでしょうか。

 

このみあおでした。