バレンタインデーの思い出
今週のお題「わたしとバレンタインデー」
バレンタインデーの思い出と言えば小学生の頃。
9〜11歳の3年間、僕にチョコを渡してくれた女の子がいました。
Aちゃんです。
そのチョコは義理チョコではありませんでした。
明確にそうだと言われたわけではないですが、僕にはそれが本命だとわかったのです。
今日は僕が10歳のときの、そんなバレンタインデーについて話します。
僕の懺悔を、どうか聞いてください。
そもそもですが、僕はチョコが好きではありません。
全く食べられないわけではありません。
美味しく食べられるチョコもあります。
ただ、そうでないチョコを食べると喉が痛くなることがしばしばあるのです。
スーパーでよく売られている100円くらいの板チョコは、僕の食べられないチョコでした。
迎えた2月14日、昨年と同じように僕はAちゃんと会う約束をしていました。
場所はAちゃんの家の近くの公園で、幼心に「こっちに来てくれるわけじゃないんだ」と思いました。
先に公園に着いた僕は、多分自転車でその辺をぐるぐるしてたことでしょう。
詳しくは覚えていません。
しばらくするとAちゃんがやって来ました。
何やら手に抱えています。
きっとチョコだとわかりましたが、それにしては大きいなぁと思いました。
しばらく普通に話した後、いよいよ綺麗にラッピングされたそれを彼女は差し出してきました。
僕はAちゃんのことを特別好いてはいませんでしたが、人から好かれるのに悪い気はしなかったので快くそれを受け取りました。
このチョコが問題だったのです。
家に帰り母から茶化されながら包装を解くと、二段構成の箱が出てきました。
箱を開けると、僕は息を呑みました。
一段目。
「○○○(僕の名前)」
二段目。
「くん♡」
大きなハート形のチョコにでかでかとそう書かれていたのです。
B5サイズ程の大きさでした。
厚さは覚えていませんが2~3センチ程あったと思います。
とにかく薄くはありませんでした。
まず思ったのが「二段目は必要なかっただろう」。
「くん♡」
一段目だけで気持ちは十分伝わります。
次に思ったのが「絶対食べきれない」。
初めに言いましたが僕はチョコが苦手です。
自分のことを人に言わない子だったので、事前に伝えなかった僕が悪いのですがそうでなくてもあの量を食べきるのは至難の業だったと思います。
けれど、僕のためにAちゃんが作ってくれたチョコです。
とりあえず食べてみることにしました。
あぁ。
これ食べられないチョコだ。
小学4年生の手作りチョコです。
それはスーパーで売られている板チョコを溶かして、固めたものでした。
今考えると、相当買いこんだんでしょうね。
買いこみすぎた結果が二段目を生んだのかもしれません。
僕は喉をイガイガさせながら母にこう伝えました。
「またあとで食べる……」
母も何かを察してくれ箱を冷蔵庫に入れてくれました。
あとで。
そのあとでは21歳になった今でもまだ来ていません。
数日後思い出して冷蔵庫を開けてみるとハート形のそれは忽然と姿を消し去っていました。
心の中で僕は母に感謝しました。
もし母が僕の言葉を真に受けていつまでもハートを取っていたら、僕は永遠に罪悪感に苛まれなければなりませんでした。
さすが僕の母親です。
母が何をしたのか、僕にはわかりましたがわからないことにしました。
どうしようもなかった。
今でもそれは最善だったと思っています。
もちろん僕は「おいしかったよ」とAちゃんに伝えました。
来年も同じことが起こったらと思うと不安で仕方ありませんでしたが、今更「実はチョコ好きじゃない」なんて、僕には言えませんでした。
次の年も彼女はチョコをくれましたが普通のチョコだったと思います。
記憶には残っていませんが。
その次の年、彼女はチョコをくれませんでした。
きっと冷めたのでしょう。
そもそも大したリアクションもない男に3年間もよくくれたものです。
僕は少しホッとしました。
同時にどこか寂しい気もしましたが、気のせいでしょう。
Aちゃんは引っ越し、中学からは別々になりました。
中学から、僕はチョコが好きではないことを伝えることにしました。
そうするとクッキーやマカロンがもらえるようになりました。
初めからこうすればよかった。
未だに僕は内向的で自分の話をしたがりませんが、好き嫌いに関してはハッキリ言える人間に育ちました。
Aちゃんのお陰です。
本当に悪いことをしました。
もしこれをAちゃんが読んでいたら、許してくれとは言いません。
ただ一度謝らせてください。
そして一つ、伝えさせてください。
僕はチョコが好きじゃない、と。
みなさんも、バレンタインに限らず人にモノを贈るときには相手の好き嫌いを訊いてあげるようにしましょう。
受け取る人のためにも、あなたのためにも。
このみあおでした。